28

 王都の街並みは、抜けるような青空の下、眩いばかりの活気に満ち溢れていた。

 高く澄んだ空に浮かぶ白雲は、まるで今の私の晴れ晴れとした心境を映し出しているかのようで。

 大通りには屋台から流れる香ばしい匂いが漂い、商人たちの威勢のいい掛け声と、行き交う人々の喧騒が心地よいリズムとなって響いている。

「本当に、いいお天気ですね!」

「ええ、最高の買い物日和だわ」

 隣を歩くクロエは、先ほどアルフォンス様から受け取った大金貨を、宝物でも扱うように両手で恭しく持ち上げていた。

 太陽の光を反射して黄金色に輝くその円盤を、彼女はうっとりと、どこか憑りつかれたような目で見つめる。

「……本物の大金貨なんて、この目で直接見るのは初めてです」

「そうね。私も……これほど近くで眺めるのは、久しぶりかもしれないわ」

 かつての公爵令嬢時代、私は金銭そのものに触れる機会などほとんどなかった。

 買い物の際は常に付き添いの者が支払いを済ませ、私はただ品物を選ぶだけ。

 貨幣の重みや、それが持つ生々しい価値など意識したことすらなかったのだ。

 けれど、没落してからのこの一年。

 銅貨一枚の重みに一喜一憂する生活を経て、私の感覚は驚くほど「平民」のそれへと近づいていた。

 大金貨一枚でどれだけのパンが買えるか、どれだけの人間が路頭に迷わずに済むか――そんなことが瞬時に頭をよぎる自分に、微かな寂しさと、逞しく生き延びてきたという奇妙な自負を覚える。

 ふと、周囲の視線がクロエの手元に集まっていることに気づき、私は我に返った。

 今の私たちは、あまりにも無防備だった。

「クロエ、その金貨を早く隠しなさい。そんな風に道端で見せびらかしていたら、スリや強盗に『私を狙ってください』と言っているようなものよ」

「あ、……たしかにそうですね。ごめんなさい、エルナ様!」

 慌てて金貨を懐の奥深くへとしまい込むクロエ。

 私たちは気を引き締め直し、目的の場所へと足を早める。

「でもエルナ様、生活雑貨が揃う市場のエリアまでは、ここからだと結構距離がありますよね」

「そうね。それに、家具や小物を揃えるとなるとかなりの荷物になるわ。運び屋を雇うにしても、あまり遅くなるとロゼッタ様に叱られてしまうかしら」

「でしたら、私が市場のメインストリートへすぐに出られる近道を知っています。そちらへ行きましょう」

 私は彼女の案内に従い、大通りから一本外れた路地裏へと足を踏み入れた。

 そこは、先ほどまでの華やかな喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 高くそびえる建物に挟まれた道は極端に狭く、日差しが遮られて濃い陰が落ちている。湿り気を帯びた空気と、どこか鼻を突く饐(す)えた匂い。

 本能的な警笛が頭の中で鳴り響き、私は早足で通り抜けようとした。

「おい、そこのお嬢ちゃんたち」

 案の定、最悪のタイミングで、最悪の声が掛かる。

 呼び止められた方向に振り返ると、そこには路地の壁に背を預けた三人の男たちが立っていた。

 無精髭を生やし、汚れた革のベストを纏った、絵に描いたような無頼漢(ならず者)たち。

 獲物を見つけた獣のような、卑俗で下卑た笑みを浮かべている。

 リーダー格と思われる、痩せぎすで眼光の鋭い男が、一歩前へ出た。

「さっき、いいもんを持ってるのが見えちまってな……。ほら、さっきのキラキラしたやつ。素直に出しな。そうすりゃ、その可愛いツラを傷つけずに通してやるぜ?」

 私は咄嗟に周囲を見回し、逃げ道を探った。

 だが、来た道を戻ろうと背後を振り向いた瞬間、そこにはいつの間にか別の二人の男たちが立ち塞がっていた。

 八方塞がり。

 袋の鼠。

 四方を高い壁に囲まれた袋小路。

 出口を塞がれた私たちの前に、じわじわと男たちが距離を詰めてくる。

 逃げ場を求めて視線を泳がせても、目に映るのは汚れにまみれた石壁と、どこまでも続くどんよりとした影だけだった。

「近寄らないで! 叫ぶわよ、いいの!? すぐに警備の兵たちが駆けつけるわ!」

 私は精一杯の虚勢を張り、喉を震わせた。

 けれど、リーダー格の男は卑屈な笑みを深めるばかりで、一歩も退こうとはしない。

「やってみな、お嬢ちゃん。あいにくこの界隈じゃ、女の悲鳴なんてのはただの背景音楽(バックミュージック)でしかないんでね。誰も首を突っ込みたがらねぇ不文律ってやつがあるのさ」

 男の言葉が終わるか終わらないかのうちに、隣にいたクロエが、肺のすべてを使い切るような鋭い悲鳴を上げた。

「おい、話を聞けってんだよ!」

 男がたじろぐのも構わず、私も彼女に倣って喉が裂けるほどに叫び始めた。

 私の場合は助けを求めるためだけの声ではなかった。

 ここ数日の、いや、没落して以来溜め込み続けてきた言葉にならない怒りや、行き場のないストレスをすべて吐き出すかのような、狂おしいまでの絶叫。

 路地裏の湿った空気を突き破る二人の少女の声は、無頼漢たちの想定を遥かに超える音量となって響き渡った。

「うるせぇ、黙れっ!」

 業を煮やした男たちが、ついに実力行使に出る。

 逃げようとした肩を背後から力任せに掴まれ、壁に押し付けられる。

 大きな掌が私の口を塞ぎ、視界がぐらりと揺れる。

 男たちの体臭と路地の悪臭が混じり合い、胃の奥から吐き気が込み上げる。

 抵抗しようにも、血気盛んな若者たちの膂力には到底及ばない。

「……ッ、んんっ!」

 声を奪われ、もがく私たちの懐から、クロエが大事そうに抱えていた金貨の入った小袋が強引に奪い取られた。

 下品な笑い声を上げる男たちの横で、私は最後の力を振り絞り、自分を押さえつける男の手を振り払って、その不細工な顔面に渾身の拳を叩き込んだ。

「あだっ……! この、クソアマがぁ!」

 男が逆上し、丸太のような腕を振り上げた。

 真っ向から飛んでくる巨大な拳。

 もはや避けようもなく、私は最期を覚悟してぎゅっと目を閉じた。

――けれど、衝撃は訪れなかった。

 恐る恐る目を開けると、男の拳は私の顔の数センチ手前で、がっしりとした何者かの手によって阻まれていた。

 鉄の万力のようにその腕を掴み、虚空で静止させている主の顔を仰ぎ見て、私は息を呑んだ。

「……アルフォンス、様……!」

 いつの間にか、そこに彼はいた。

 そしてその瞳は、怒りによって深紅の輝きを放っていた。

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