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 アルフォンス様の瞳が、燃えるような赤から、深く静かな元の青色へと戻っていく。

 張り付いていた霜は一気に溶け出し、凍てついていた空気は、瞬く間に元通りの湿った、緩やかな午後の温度へと引き戻されていった。

「エルナ……」

 アルフォンス様の瞳は、いつの間にか元の深い青色へと戻っていた。

 彼はひどく申し訳なさそうに眉を八の字に下げ、私の顔を覗き込む。

「すまない。……寒かっただろう?」

 正直に言えば、骨の髄まで凍てつくような寒さだった。

 けれど、守護者としての力強さを失い、子供のように肩を落とす彼の姿をこれ以上見ていたくなくて、私はあえて健気な笑みを浮かべる。

「いいえ、そんなことはありませんわ。それほど寒さは感じませんでした」

「嘘を吐かなくていい。君の体はまだ震えているじゃないか」

「嘘ではありません。なんというか……あの冷気には、アルフォンス様の守護を感じるような、不思議な安心感がありましたから。……うまく説明できませんけれど」

 支離滅裂な理屈でなんとかフォローしようとする私の姿が滑稽だったのか、彼はようやく、ぷっと吹き出した。

「エルナは本当に優しいね。……苦労をかけてすまない。クロエも、怖い思いをさせてしまった」

「い、いいえ!とんでもございません!」

 いつの間にかすっかり元気を取り戻したクロエが、ぶんぶんと両手を振る。

「むしろ、助けてくださって感謝の言葉もございません!一生、いえ来世までこのご恩は忘れません!」

 彼女の威勢の良い声を聞きながら、私は路地の奥に視線を向けた。

 アルフォンス様に制裁を受けたヤツらは、周囲の氷が解けた後も、依然としてそこにあった。

「呼吸ができるよう、鼻先だけは解凍しておいたよ」

 アルフォンス様が、説明を添える。

「意識はあるし、命に別状はない。だが、四肢の機能は……おそらく、二度と戻ることはないだろうな」

 淡々と恐ろしい「判決」を下す主人に、エドガー卿がやれやれといった様子で手袋と耳当てを外した。

「……だから仰ったでしょう、やりすぎですよと。閣下は加減という言葉をご存じない」

「死なせないでくれと言うから、死なない範囲に留めただけだ。これ以上の温情が必要か?」

「……」

 冷淡な主君と、常識人の副団長。

 といった感じで、エドガー卿が周囲を促した。

「とにかく、この不衛生な路地からは早々に立ち去りましょう」

***

 一歩路地を抜ければ、そこには先ほどまでと変わらぬ、呑気で平和な王都の日常が広がっていた。

 私はクロエの顔色を窺い、そっと声をかける。

「クロエ、あんな物騒なことがあったばかりだし、今日はこのまま帰りましょうか?」

「いけません、エルナ様!せっかくの外出許可を、あんな野卑な連中のせいで台無しにするなんて!」

 クロエの回復力は驚異的だった。

 数分前まで喉元に刃を突きつけられていたとは思えないほど、彼女の瞳には瑞々しい活力が戻っている。

「なら、買い物続行だね」

 アルフォンス様も、彼女の逞しさにどこか満足げな様子で頷く。

「けれど、あんな危険な道に、どうして迷い込んだんだい?」

 アルフォンス様の問いに、クロエが申し訳なさそうに経緯を説明する。

「少しでも早く戻ろうとして、近道を選んでしまったんです……。本当に私の不注意でした」

「次からは大通りだけを通るんだよ。安全は、効率よりも遥かに優先されるべきものだからね」

 優しく、けれど重みのある主君のアドバイス。

 それに聞き入りながらも、私は一つの疑問を口にした。

「ところで、アルフォンス様。皆様は公務に戻られたのではなかったのですか?どうして、あんな絶好のタイミングで参上できたのでしょう」

「ああ、それは……。まあ、帰る途中で、どうしても胸騒ぎがしてね。Uターンしたんだよ」

「胸騒ぎ、ですか……。でも、どうして私たちの居場所を正確に突き止められたのですか?」

「それは……ちょうどそこを通りかかった時に、君の悲鳴が聞こえたような気がして……」

 しどろもどろに答えを濁す主君の横から、エドガー卿が容赦なく暴露した。

「実はずっとつけていたんですよ、閣下は。エルナ嬢を」

「……え?」

「……おい、エドガー。余計なことを言うな!」

 アルフォンス様が制止するのも聞かず、エドガー卿はどこか楽しげに、けれど呆れたような口調で告げた。

「大金貨ですよ。閣下はあの金貨に、追跡の術(マーキング)を施しておいたんです。最初からストーキングする気満々だったというわけです」

「……っ!」

 真っ赤になるアルフォンス様。

 その姿を見て、エドガー卿は肩をすくめて笑った。

「全く、やり方が陰険ですよ、団長。恋心ゆえとは言え、いささか度が過ぎています」

「た、頼むから……!」

 アルフォンス様が発したのは、憤怒と懇願が入り混じった、なんとも形容しがたい声だった。

 不甲斐ないと言えばそうなのだが、どこか放っておけない愛らしささえ感じさせるその表情に、私は毒気を抜かれてしまう。

「それ以上、その口を開かないでくれ。……いいな、エドガー。これは団長としての『お願い』だ」

 あまりにも必死な「穏健な脅し」に、私とクロエは思わず顔を見合わせて吹き出してしまった。

 控えめに、けれどこらえきれずに肩を震わせる私たちを見て、アルフォンス様も力が抜けたのか、きまり悪そうに頬を緩める。

 私はここぞとばかりに、彼を茶化すように言った。

「では、仕方がありませんね。ストーキングを止めていただくためにも、今日中にこの大金貨を使い切ってしまわなくては」

 図星を指されたアルフォンス様は、耳まで赤くしながら、蚊の鳴くような声で頷いた。

「……ああ、ぜひ、そうしてくれたまえ」

 ひとしきり笑った後、ふと冷静な思考が戻ってきた。

 彼らのような重役をこれ以上引き止めておくわけにはいかない。

「お仕事中だったのでしょう?私たちは大丈夫ですから、お二人はそろそろ持ち場にお戻りください」

「ああ、それは心配ないよ。ちょうど巡察の最中だったからね」

 屈託のない笑顔で答えるアルフォンス様だったが、私はその言葉を鵜呑みにはできなかった。

 確認するように隣のエドガー卿に視線を向けると、彼は重々しく、けれど肯定の意を込めて頷いた。

「嘘ではありませんよ。都の定期的な巡察も、我ら王立第二騎士団の重要な任務の一つですから。……ですが」

 エドガー卿は、上官を冷ややかな目で見据えたまま言葉を継いだ。

「団長自らが路地裏まで回るような巡察など、聞いたこともありません。普通にあり得ないことです」

「あり得なくはないだろう、あり得なくは……」

王立騎士団の頂点に立つ男が、子供のようにぶつぶつと弁明を始めた。

「いくら団長とはいえ、現場の空気を肌で感じておかなければ、正しい指揮など執れないだろう? 私は、その……なんだ、真面目に職務を全うしていただけだ」

 そんな、およそ説得力に欠けるやり取りが繰り広げられている最中だった。

 私は、ふと周囲の空気がじわじわと変質していくのを感じ取った。

 何かがおかしい。

 違和感に突き動かされて辺りを見回し、私はすぐにわかるようになった。

 ここは王都で最も人通りの多い大通り。

 そのど真ん中で立ち止まっている私たちの周りに、通行人たちの視線が恐ろしい密度で集まっている。

 そして原因は、火を見るより明らか。

 私は固唾を呑みながら、その元凶である人物を見上げた。

 アルフォンス・マクシミリアン・ベルンハルト侯爵。

 最近、あまりにも身近に接していたせいで失念しがちだったが、改めて思い知らされる。

 そうだ。

 この人は、現在この都で最も注目を集める、文字通りの「時の人」なのだ。

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