大舞踏の間の空気は、もはや祝祭のそれではない。
重苦しい沈黙が、シャンデリアの輝きさえも凍らせているようだった。
アルフォンスは、国王の御前で、懐から取り出した絹の包みを解いた。
中から現れたのは、古びているが不自然なほど精巧な「ルミナス家の印章」だった。
「――陛下。これこそが、数年前にルミナス家を国家反逆へと追いやった元凶にございます」
会場にどよめきが走る。
アルフォンスは傍らに控えていた王宮の紋章官を、冷徹な一瞥で呼び寄せた。
「紋章官。……この印章を、ルミナス家が代々受け継いできた『正統な印』の記録と照合せよ。偽造特有の『癖』があるはずだ」
震える手でルーペを覗き込んだ紋章官は、数秒後、絶句した。
「……こ、これは。紋章の左下、盾の縁(ふち)の飾りが、本物よりわずかに一ミリほど短い……。さらに、意図的に混ぜられたと思われる不純物の混入……。間違いない。これは、精巧に作られた模造品です!」
紋章官の声がホールに響き渡ると同時に、クレイソン公爵の顔から血の気が失せた。
「ば、馬鹿な!そんなものは捏造だ!」
公爵は、狂ったように叫んだ。
「陛下、騙されてはなりません!それはベルンハルト侯爵が、その横にいる魔女にたぶらかされ、私を陥れるために用意した偽物です!その女は昨日まで我が邸でメイドをしていた卑しい女だ。そんな女の言うことを、なぜ信じられるのですか!」
「お父様の言う通りですわ!」
イザベラも、深紅のドレスを振り乱して前に出た。
彼女の顔は嫉妬と怒りで醜く歪み、さっきまでの淑女の面影はどこにもない。
「その女はスパイ、泥棒猫ですわ。アルフォンス様を操って、お父様の名誉を傷つけようとしているのです。衛兵、早くその女を、その薄汚いメイドを捕らえて死刑台へ戻してちょうだい!」
イザベラの金切り声が響く中、アルフォンスは一度も彼女を視界に入れなかった。
ただ、隣に立つエルナの腰を、守るように強く引き寄せただけ。
「……クレイソン公爵。貴殿は、私が用意した証拠だと言ったな」
アルフォンスが、冷ややかに口角を上げる。
「ならば、この男の言葉も、私の妄想だと言うつもりか?」
アルフォンスが短く合図を送ると、正面の大扉が再び開いた。
現れたのは、副団長のレイ。
彼は一人の、身なりの貧しい、しかし怯えた様子の男を引き連れていた。
「……陛下。この男は王都の裏通りに店を構えていた、老練な彫金師にございます」
レイの報告を受け、男は床に額を擦り付けるようにして震えた。
「も、申し訳ございません陛下!私は、クレイソン公爵様に命じられ、ルミナス家の印を偽造いたしました……!『これは国のために必要な仕事だ』と言われ、口止め料として大金を積まれ……。ですが、昨日、公爵様の使いと思われる暗殺者に殺されそうになったところを、レイ副団長に救われました……!」
会場に、落雷のような衝撃が走った。
「生きた証拠」の登場に、貴族たちの視線が、クレイソン公爵への軽蔑へと一気に塗り替えられていく。
「き、貴様……っ!よくも嘘を……!」
「――まだあるぞ、公爵」
今度は、もう一人の副団長、エドガーが重厚な足音を立てて歩み出た。
その手には、アルフォンスが公爵の秘密金庫から奪い取った、一冊の厚い帳簿が握られている。
「第二騎士団副団長、エドガー・ライオネル・ヴァレンタイン。陛下、失礼ながら、この裏帳簿の一部を読み上げさせていただきます」
エドガーは、地響きのような声で読み始めた。
「――〇年〇月、最前線へ送るはずの軍用兵糧および魔動触媒を、敵国へと横流し。その罪をルミナス家に被せるべく、偽造印章を用いて通敵文書を捏造。……〇年〇月、物資横領の証拠を隠滅するため、事実を知る輸送部隊の責任者を事故に見せかけ殺害……」
読み上げられるたびに、会場内にいた数人の貴族が腰を抜かし、真っ青な顔で後ずさりした。
それは、クレイソン公爵の汚職という巨大な樹の、枝葉に過ぎない者たちの恐怖だった。
「おしまいだ、クレイソン」
アルフォンスは、断罪の剣を振り下ろすかのように、最後の一歩を踏み出した。
「貴殿は、陛下への忠誠よりも己の欲を選び、一人の清廉な家門を滅ぼした。その醜悪な魂こそが、この国の真の『反逆者』だ」
「ああ、ああぁ……っ!!」
クレイソン公爵は、もはや言葉を紡ぐことすらできず、その場に崩れ落ちた。
イザベラは、隣に立つエルナの、一切の汚れを知らない緑の瞳に射すくめられ、自分の足が震えていることに気づいた。
自分が「卑しい」と嘲笑っていた女は、今や、自分には一生手の届かない高い場所に立っている。
「……陛下。これ以上の審議は不要かと存じます」
アルフォンスは、国王に向かって深く一礼した。
「今この場に、失われたはずのルミナス家の誇りは戻りました。……どうか、正義に基づいたご裁定を」
国王は、重く、長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
その視線は、もはや公爵父娘を「人間」としては見ていなかった。
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