王宮の大聖堂は、冬の澄んだ陽光と、数えきれないほどの祝福の花々で満たされていた。
王国史上、これほどまでに熱狂と羨望に包まれた婚礼があっただろうか。
かつて「反逆者の娘」として泥を舐めるような日々を送った女性が、今、王国最強の盾、王立第二騎士団団長であり、都のスーパースターであるアルフォンス・マクシミリアン・ベルンハルト侯爵の妻として、その隣に立とうとしている。
控室の大きな鏡の前に、一人の美しい淑女がいた。
純白のシルクに最高級のレースをあしらったウェディングドレス。
その滑らかな光沢を放つ生地の上には、熟練の職人が気の遠くなるような時間をかけた銀糸と小粒のダイヤモンドの刺繍が、まるで星座のように瞬いている。
歩むたびに光の粒子を纏うその姿は、この世のものとは思えぬほどに神々しい。
「……信じられない。私、本当に、エルナなのね」
鏡の中の自分を見つめ、エルナはそっと頬に触れた。
一年前の今日、自分は冷たい床を磨き、誰からも顧みられない影のような存在だった。それが今、これほどまでに眩しい光の中にいる。
「エルナ。……準備はいいかい?」
扉が開き、正装に身を包んだ父、ローランド公爵が入ってきた。
その背後には、優雅な微笑みを湛えた母エヴリンと、第二騎士団の若き精鋭として凛々しく成長した弟ジュリアンの姿がある。
「お父様……」
「……ああ、なんと美しい。エルナ、お前をあんな目に遭わせてしまった父を、今日まで生かしてくれた神と、何よりベルンハルト侯爵に感謝しなくてはな」
ローランドは、愛おしそうに娘の手を取った。
エヴリンが涙を拭い、ジュリアンが照れくさそうに、しかし誇らしげに姉を見つめる。
家族の絆は、あの日アルフォンスが繋ぎ止めてくれたおかげで、以前よりもずっと深く、強いものになっていた。
聖堂の重厚な扉が開くと、パイプオルガンの荘厳な響きがエルナを包み込んだ。
列席する全ての貴族たちが一斉に立ち上がり、一年前には侮蔑の視線を送っていた者たちも、今はただ、その神々しいまでの美しさに息を呑んでいる。
祭壇の前で待っていたのは、漆黒の正装を纏ったアルフォンス。
彼がエルナの姿を捉えた瞬間、緊張で氷のように凍っていたその瞳に、春の陽だまりのような熱が宿るのを彼女は見逃さなかった。
「……この世に存在してくれて、ありがとう。エルナ」
父からその手を受け取る時、アルフォンスは誰にも聞こえない声で囁いた。
彼の指先が、微かに震えていることにエルナは気づく。
そのときめきが、彼の手の熱から伝わってきた。
そして誓いの言葉を交わし、永遠の口づけを。
聖堂内に鳴り響く鐘の音は、過去のすべての悲鳴をかき消し、ただ二人の未来を祝福していた。
***
夜。
王宮の大舞踏の間、盛大な披露宴。
会場の隅々には、副団長のエドガーが鉄壁の警備を敷き、もう一人の副団長レイが軽妙な語り口で、かつてのクレイソン家の不祥事さえも笑い話に変えて場を盛り上げている。
ワルツの旋律が流れ始めた時、エルナはふと、一年前のあの日を思い出していた。
まだ名もなきメイドとして、屈辱の中で床を磨いていた自分。
周囲の冷笑と罵倒。
あの時、すべてをなげうって自分を救い出し、誰もが跪くべき淑女へと変貌させてくれたのは、目の前に立つこの男だった。
アルフォンスは、一年前と同じように、しかし今は深く、愛おしそうに目を細めて彼女を見つめている。
彼はゆっくりと、あの日と同じ角度で、右手を差し出す。
「――エルナ。私と、踊っていただけませんか?」
その言葉を聞いた瞬間、エルナの瞳から、あふれんばかりの幸福な涙がこぼれ落ちる。
あの日、絶望の淵にいた自分に手を差し伸べてくれた、運命の言葉。
「……はい、喜んで。私の、アルフォンス様」
エルナは、一年前よりもずっと確かな足取りで、彼の手に自分の手を重ねた。
二人のダンスは、あの日よりもずっとしなやかで、誰よりも眩しく輝く。
もはや周囲の視線を気にする必要はない。
世界にはただ、二人だけが存在しているかのような、至福の旋律が流れていた。
夜も更け、二人はバルコニーへ逃げ出す。
冬の冷たい空気さえも、重なり合う二人の体温の前では心地よいものに変わる。
夜空には祝福の花火が上がり、雪のような火花が舞い散る。
「エルナ。……あの日、舞踏会で目が合った瞬間、私は気づいてしまったんだ」
アルフォンスは彼女を背後から強く抱き寄せ、その緑色の瞳を覗き込む。
「君を守るためなら、私は神にでも悪魔にでもなれると。……君という存在がいない世界など、何の意味もない、と」
「アルフォンス様……。私も、貴方が私を見つけてくれたあの瞬間から、貴方だけを見てきました」
エルナは彼の腕の中で振り返り、その深い紺碧の瞳を見つめ返した。
すると彼が再び、彼女の唇を奪った。
それは、メイドとして誰からも顧みられなかった日々への、永久的な上書きであり、最高の救済だった。
月の光が、寄り添う二人の影を優しく照らす。
翠の瞳が、彼を映して煌めく。
二人は、まるで鮮やかなワルツのように、ここから永遠の幸福へと歩み出すのだった。
~fin~
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