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 アルフォンス様は、先ほどまでの穏やかな装いとは一変し、軽装ながらも王立騎士団の格式を感じさせる巡察用の武具を纏っていた。

 腰には見慣れた長剣が添えられ、その全身からは、周囲の空気が爆ぜるほどの苛烈な殺気が溢れ出している。

 彼は私を捉えたまま、瞳の紅をわずかに和らげて問いかけてくる。

「エルナ、大丈夫か。怪我はないね」

「は、はい……大丈夫です。アルフォンス様こそ、なぜここに……」

「それは後だ。……無事で、本当によかった」

 一瞬だけ安堵の色を見せた彼は、再び炎のような眼差しを男たちへと向けた。

「……クロエは!?」

 見れば、クロエは未だに一人の男に羽交い締めにされていた。

 あろうことか、男は懐から錆びた短剣を取り出し、彼女の細い喉元に突きつけていた。

「動くんじゃねぇ! 一歩でも近づいてみろ、このアマの喉を掻き切ってやるぞ!」

「……っ!」

 喉元に銀色の刃を突きつけられたクロエが、涙に濡れた瞳で私を見つめる。

「エルナ、様……」

 震える彼女の声が聞こえた瞬間、私の目が前は真っ暗になる。

 さっきまでの高揚感は消え去り、底知れない絶望と恐怖が、心臓を鷲掴みにした。

「おい、君たち」

 背後から、低く、落ち着き払った声が響いた。

 振り返ると、そこには第一副団長、エドガー卿が立っていた。

 整った眉をわずかに寄せたその風貌は、アルフォンス様とはまた異なる、理知的な美しさに満ちている。

 だがその瞳には、連日の激務によるものか、隠しきれない疲労の色が色濃く滲んでいるように見えた。

 彼は逆上するアルフォンス様とは対照的に、事務的な淡々とした口調で、クロエに短剣を突きつける男へと言い放った。

「その子を早く放した方がいい。君たちの身のためだ」

「あぁ!? ふざけんじゃねぇぞ、てめぇら! まとめて血祭りにあげてやる!」

 リーダー格の男の叫びを合図に、仲間の男たちが懐から短剣や粗末な武器を取り出し、殺気立つ。

 その様子を見て、エドガー卿は深い、深い溜息を吐き出した。

「……君たちは、王立第二騎士団の団長を知らないのか。無知にもほどがあるな」

「騎士団だぁ? 知るかよ! 俺たちがこの界隈でどれだけ恐れられてる『漆黒の毒牙』の一員か、たっぷりと教えてやるぜ!」

 男たちが威勢よく自らの悪名を並べ立てるのを、エドガー卿はまるで無関心に聞き流す。

 彼はなぜか懐から手袋と、耳を塞ぐための防寒具を取り出し、淡々と装着し始めた。

そして呟く。

「君たちは、団長を見るなり全力で逃げるべきだったんだ。猛獣を至近距離で目撃した草食動物のようにね。……まあ、もう手遅れなんだが」

 彼が言葉を締めくくった瞬間、路地裏の空気が一変した。

 猛烈な冷気が、爆発的に吹き荒れる。

 あたり一面が瞬時に白く凍りつき、壁には結晶が走り、地面には厚い霜が降りた。

 まるでここだけが世界の終わり――氷河期にでも飲み込まれたかのような光景。

 雪さえ降り出しそうな極寒に包まれているというのに、不思議と私の肌に冷たさが強くは感じられなかった。

 その牙が剥けられたのは、ヤツらだけだったのだ。

「が、あ……っ!? な、なんだ、これ……っ」

 男たちの体が一気に震え出す。

 歯の根も合わないほどの激しい寒気が彼らの体温を奪い、指先から感覚を失わせていく。

 クロエを掴んでいた腕は凍傷に冒されたように青白く硬直して動かなくなり、握られていたナイフがカランと音を立てて床に落ちた。

 男たちは、私たちを脅していたその醜悪なポーズのまま、彫像のように固まってしまった。

 それはあまりに精密で、恐ろしい「氷の静止画」だった。

「クロエ!」

 拘束から解放され、がっくりと膝をついた彼女に、私は一目散に駆け寄った。

「エルナ、様……」

 ひどく怯えてはいたが、目立った外傷はない。

 私は彼女を抱きしめ、必死にその体を支えた。

 安堵したのも束の間、じわじわと周囲の冷気が私の方へも浸食し始める。

 吐き出す息は白く、体の震えが止まらない。

 ふと見れば、男たちの肌は霜に覆われ、もはや雪だるまのような無残な姿へと変わりつつあった。

「そこまでにしてください、団長」

 エドガー卿が静かに、けれど強く進言した。

「……これ以上は、こいつらが凍死してしまいます」

「――そのつもりだが」

 アルフォンス様の声は、この世の誰よりも冷酷だった。

「いけません!」

 エドガー卿が声を荒らげる。

「いくら犯罪者とはいえ、殺めれば騎士団長といえども後始末は困難を極めます。立場を考えてください」

「構わん。始末書なら、何百枚でも書いてやる」

「始末書の問題ではないと言っているんです!」

 なおも怒り狂うアルフォンス様に、エドガー卿は最後の一撃を放った。

「エルナ嬢が、寒がっていますよ!」

「……!」

 その一言に、アルフォンス様の肩がぴくりと跳ねる。

 彼が弾かれたように、抱きしめ合う私とクロエの方を振り返る。

 刹那、路地裏を支配していた殺人的な冷気が、霧散するようにふっと消え去った。

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